「オアシス」
僕は毎朝車で通勤する
毎日同じ車で同じ道を同じ時刻に通過する。その繰り返しの中で見つけた楽しみ。微笑ましい光景。
店先に打ち水をする店員。その店員にいつも話しかけている老女。その場にいつも停車する自分の車。いつもの朝の風景。
何故かココの信号に引っかかってしまう。毎朝2回も引っかかる。この原因は青の時間が異様に短い信号にある事だということは百も承知だった。だけど、この道通勤のためには一番の近道なのだ。ほかの道だともっと時間が掛かってしまう。
僕があの店に目が行くようになったのは丁度一年前の事だった。淡々とした無機質な朝に突然に姿を現すようになった人。
いつの日か、その人から目が離せない自分が居ることに気付いた。その人を見れた日は仕事もスムーズに進む気さえしていた。
たとえ、それが後姿であったとしても。
そんなある休日、僕は散歩に出掛けた。空は青く澄んでいて風が気持ちよく僕の隣を通る。心地よい風がどんどん流れていく。
季節は夏の終わり。夕方に近づくと風も涼しげに吹き抜けようになった。赤とんぼが飛んでいて、夏の名残惜しさを引き立てて、そんな夕暮れ時には愛犬ジョセフの散歩に限る。思い立つと即行動の僕。僕は財布と携帯電話をポケットに入れ家を出た。
夜の予定は同僚と先輩の家に晩飯をご馳走になりにいく。いつもお邪魔してる直属の上司。彼はとても気立てがよく、面倒見もよいと思う。
いつもこうやって僕らを家に招いてくれる。そんな彼は今年ジューンブライドで結婚した新婚さんだ。奥さんも同じ会社で経理に所属している。いわば社内恋愛。いつか僕も、そんな相手が居ない今。結婚願望も何もあったもんじゃないが、彼らを見ているとこっちまで幸せになってくる気がする。そう思わせる人ってある意味魅力的なんだと思う。僕もいつか誰かにそんな風に思われたりするのだろうか…。そんな事を思いながらジョセフの首輪にリードを繋ぐ。
ジョセフは黒斑のフレンチブルドッグだ。僕がペットショップで一目惚れして6年前に父が飼ってくれた。当時は毎日朝と晩に散歩に連れ出していたが、就職してからはいつも母に散歩を任せていたから、なんだか申し訳なく感じていた。だから暇があればこうやって散歩へ連れ出すようにしている。 少しでも僕もジョセフに飼い主だって主張しておかなければ、最近は母の方に懐いている気がしてならない。そんなことを思いながら、僕は公園へ向かった。
いつも利用している公園は歩いて1キロ程で、そこまでの道のりは土手を通り橋を渡り街へ向かうというコースだった。
いつもの様に橋を渡りながら、僕はあることに気付いた。この橋を渡り、渡った直ぐの交差点を曲がれば大通りに出る事に。その道は僕の通勤路であり、あの店がある道なのだと気付いた。
いつもは車で窓越しに見る景色、風景、建物。それを歩いて観て行くのも悪くない、少しだけ遠回りになるが気にはならない程度だ。そう思い立った僕は少し戸惑うジョセフをリードして大通りへ足を向けた。
ジョセフはいつもと違う道にいつも以上に鼻を鳴らしながらのんびりと進んでいく。あちこちで低い鼻を擦り付けて匂いを嗅ぐ。それに気付いて僕も少し足を緩めた。だけど気持ちは遥か彼方、あの店の前。彼女がいるか、それだけが気になった。
もし居たら、どうしよう。急に不安になる。だけどジョセフの存在がその気持ちを少しだけ落ち着かせてくれる。やっぱりジョセフは僕の心のオアシスだ。この愛くるしい表情と仕草が堪らない。ジョセフに合わせて僕らは何度も立ち止まりながら、その店の前へと辿り着いた。
その店は花を売っていた。店先にはブーケがあり、鉢物もあるようだ。奥のショーケースには切花もある。全体的にこじんまりとした店の奥には花を買う客が居た。
その奥のカウンターにいるのはいつもの店員さんではないようだった。少し年配の、年のころはうちの母ちゃんくらいだろうか。彼女は休みだろうか、そんなことを思い少し残念だと気付いて、自分の心の中に住む好奇心に似た感情が騒ぎ出す。
僕はその騒ぎ出す気持ちに戸惑いながら花を物色した。時折ジョセフが花を食べてしまいそうになり焦りながらも花を観賞した。
花の名は知らない名前ばかりだった。一つ一つに説明書きがあり、値段と一言が添えられていた。直感で彼女の字ではないかと思った。店の店主と思われる年配の女性の字にしては若すぎる気がしたからだ。
僕はその中で色合いが気に入ったブーケを見つけた。青をベースにした小さなブーケ。花の名前なんて知らない。だけどキレイで彼女に似合いそうな気がして、そのブーケを目に焼き付けた。
帰りにまた、もう一度この店の前をを通ってみよう。そして、まだあのブーケがあったらならブーケを買おう。そう決意して公園へを足を向けた。後でこの店に来たとき、彼女がいてくれて、そして笑顔で出迎えてくれれば、と思った。
公園へ向かいながら僕の微かな期待をそのままに軽やかな足取りで歩道を進む。ついつい胸の高鳴りを抑えきれずに僕はつい走り出す。ジョセフも待ってましたとばかりに駆け出した。そうして僕らは公園まで久々に疾走した。
公園に着く頃には僕もジョセフもかなり息が上がってしまった。夏の終わり。日の落ちる速度が速まる季節になってきた。風は涼しいと感じれるくらいにまで温度を下げて僕のところに届く。
公園のトイレまで行くと僕は顔を洗い、ジョセフは水飲み場で水を飲む。窒息しそうなくらいに水面に顔を近づけ水を飲むジョセフ。相変わらずその低い鼻が愛くるしい。
いつものように中央の芝生の広場でリードを解く。ジョセフは好奇心旺盛に見られるのだが実はそうでもない。マイペースだけどとても忠実。小さい頃に僕と父が徹底的に仕込んだ成果だと思う。持ってきたボールを僕は空高く投げた。それに短い尻尾を千切れんばかりに振りたてて全速力で走る。それを口で拾い上げて僕のところまで持ってくる。いい子いい子して2粒ほど固形の餌を口に運んでやる。がっつきながらじゃれ付いてくる。
そんな事を繰り返して一緒に走り転げ回りじゃれ合う。おそらく変な飼い主だと思われているかもしれないなんて、少し思いながらもどうしてもやめられない。ジョセフは本当に可愛い奴なんだ。
段々と空は色づいてゆく。リードを付け自販機に向かう。
「あんた、いいわね〜たくさん遊んでもらって!」
声のする方に顔を向けると、そこにはかなり年配の女性がニコニコしながらジョセフの頭を撫でてながら身体に付いた草を取り除いてくれている。
「あ、どうもありがとうございます。」
僕が思いっきり照れ笑いで返すと、彼女はふわふわした笑顔で「若いっていいわね」なんていいながら去っていった。彼女の連れている犬はおそらく雑種だろう。それでいてかなり老犬の様の思えた。 では、また。なんてつい口から出てしまうほど初対面でも親近感が沸く。そんな思いにさせてくれる素敵な笑顔が印象的な初老の女性だった。
僕はペットボトルの炭酸飲料を買った。こんなときは本当はビールでも飲みたい気分だが、そこは後の楽しみに取っておく。渇いたのどに一気にジュースを流し込む。喉を通る刺激に負けそうになりながらも渇きには適わずにグビグビ飲み干した。早く帰って支度して出掛けなくてはいけない。僕らはそこから足早に一直線にあの店へ向かった。
↓ 続きます
僕は毎朝車で通勤する
毎日同じ車で同じ道を同じ時刻に通過する。その繰り返しの中で見つけた楽しみ。微笑ましい光景。
店先に打ち水をする店員。その店員にいつも話しかけている老女。その場にいつも停車する自分の車。いつもの朝の風景。
何故かココの信号に引っかかってしまう。毎朝2回も引っかかる。この原因は青の時間が異様に短い信号にある事だということは百も承知だった。だけど、この道通勤のためには一番の近道なのだ。ほかの道だともっと時間が掛かってしまう。
僕があの店に目が行くようになったのは丁度一年前の事だった。淡々とした無機質な朝に突然に姿を現すようになった人。
いつの日か、その人から目が離せない自分が居ることに気付いた。その人を見れた日は仕事もスムーズに進む気さえしていた。
たとえ、それが後姿であったとしても。
そんなある休日、僕は散歩に出掛けた。空は青く澄んでいて風が気持ちよく僕の隣を通る。心地よい風がどんどん流れていく。
季節は夏の終わり。夕方に近づくと風も涼しげに吹き抜けようになった。赤とんぼが飛んでいて、夏の名残惜しさを引き立てて、そんな夕暮れ時には愛犬ジョセフの散歩に限る。思い立つと即行動の僕。僕は財布と携帯電話をポケットに入れ家を出た。
夜の予定は同僚と先輩の家に晩飯をご馳走になりにいく。いつもお邪魔してる直属の上司。彼はとても気立てがよく、面倒見もよいと思う。
いつもこうやって僕らを家に招いてくれる。そんな彼は今年ジューンブライドで結婚した新婚さんだ。奥さんも同じ会社で経理に所属している。いわば社内恋愛。いつか僕も、そんな相手が居ない今。結婚願望も何もあったもんじゃないが、彼らを見ているとこっちまで幸せになってくる気がする。そう思わせる人ってある意味魅力的なんだと思う。僕もいつか誰かにそんな風に思われたりするのだろうか…。そんな事を思いながらジョセフの首輪にリードを繋ぐ。
ジョセフは黒斑のフレンチブルドッグだ。僕がペットショップで一目惚れして6年前に父が飼ってくれた。当時は毎日朝と晩に散歩に連れ出していたが、就職してからはいつも母に散歩を任せていたから、なんだか申し訳なく感じていた。だから暇があればこうやって散歩へ連れ出すようにしている。 少しでも僕もジョセフに飼い主だって主張しておかなければ、最近は母の方に懐いている気がしてならない。そんなことを思いながら、僕は公園へ向かった。
いつも利用している公園は歩いて1キロ程で、そこまでの道のりは土手を通り橋を渡り街へ向かうというコースだった。
いつもの様に橋を渡りながら、僕はあることに気付いた。この橋を渡り、渡った直ぐの交差点を曲がれば大通りに出る事に。その道は僕の通勤路であり、あの店がある道なのだと気付いた。
いつもは車で窓越しに見る景色、風景、建物。それを歩いて観て行くのも悪くない、少しだけ遠回りになるが気にはならない程度だ。そう思い立った僕は少し戸惑うジョセフをリードして大通りへ足を向けた。
ジョセフはいつもと違う道にいつも以上に鼻を鳴らしながらのんびりと進んでいく。あちこちで低い鼻を擦り付けて匂いを嗅ぐ。それに気付いて僕も少し足を緩めた。だけど気持ちは遥か彼方、あの店の前。彼女がいるか、それだけが気になった。
もし居たら、どうしよう。急に不安になる。だけどジョセフの存在がその気持ちを少しだけ落ち着かせてくれる。やっぱりジョセフは僕の心のオアシスだ。この愛くるしい表情と仕草が堪らない。ジョセフに合わせて僕らは何度も立ち止まりながら、その店の前へと辿り着いた。
その店は花を売っていた。店先にはブーケがあり、鉢物もあるようだ。奥のショーケースには切花もある。全体的にこじんまりとした店の奥には花を買う客が居た。
その奥のカウンターにいるのはいつもの店員さんではないようだった。少し年配の、年のころはうちの母ちゃんくらいだろうか。彼女は休みだろうか、そんなことを思い少し残念だと気付いて、自分の心の中に住む好奇心に似た感情が騒ぎ出す。
僕はその騒ぎ出す気持ちに戸惑いながら花を物色した。時折ジョセフが花を食べてしまいそうになり焦りながらも花を観賞した。
花の名は知らない名前ばかりだった。一つ一つに説明書きがあり、値段と一言が添えられていた。直感で彼女の字ではないかと思った。店の店主と思われる年配の女性の字にしては若すぎる気がしたからだ。
僕はその中で色合いが気に入ったブーケを見つけた。青をベースにした小さなブーケ。花の名前なんて知らない。だけどキレイで彼女に似合いそうな気がして、そのブーケを目に焼き付けた。
帰りにまた、もう一度この店の前をを通ってみよう。そして、まだあのブーケがあったらならブーケを買おう。そう決意して公園へを足を向けた。後でこの店に来たとき、彼女がいてくれて、そして笑顔で出迎えてくれれば、と思った。
公園へ向かいながら僕の微かな期待をそのままに軽やかな足取りで歩道を進む。ついつい胸の高鳴りを抑えきれずに僕はつい走り出す。ジョセフも待ってましたとばかりに駆け出した。そうして僕らは公園まで久々に疾走した。
公園に着く頃には僕もジョセフもかなり息が上がってしまった。夏の終わり。日の落ちる速度が速まる季節になってきた。風は涼しいと感じれるくらいにまで温度を下げて僕のところに届く。
公園のトイレまで行くと僕は顔を洗い、ジョセフは水飲み場で水を飲む。窒息しそうなくらいに水面に顔を近づけ水を飲むジョセフ。相変わらずその低い鼻が愛くるしい。
いつものように中央の芝生の広場でリードを解く。ジョセフは好奇心旺盛に見られるのだが実はそうでもない。マイペースだけどとても忠実。小さい頃に僕と父が徹底的に仕込んだ成果だと思う。持ってきたボールを僕は空高く投げた。それに短い尻尾を千切れんばかりに振りたてて全速力で走る。それを口で拾い上げて僕のところまで持ってくる。いい子いい子して2粒ほど固形の餌を口に運んでやる。がっつきながらじゃれ付いてくる。
そんな事を繰り返して一緒に走り転げ回りじゃれ合う。おそらく変な飼い主だと思われているかもしれないなんて、少し思いながらもどうしてもやめられない。ジョセフは本当に可愛い奴なんだ。
段々と空は色づいてゆく。リードを付け自販機に向かう。
「あんた、いいわね〜たくさん遊んでもらって!」
声のする方に顔を向けると、そこにはかなり年配の女性がニコニコしながらジョセフの頭を撫でてながら身体に付いた草を取り除いてくれている。
「あ、どうもありがとうございます。」
僕が思いっきり照れ笑いで返すと、彼女はふわふわした笑顔で「若いっていいわね」なんていいながら去っていった。彼女の連れている犬はおそらく雑種だろう。それでいてかなり老犬の様の思えた。 では、また。なんてつい口から出てしまうほど初対面でも親近感が沸く。そんな思いにさせてくれる素敵な笑顔が印象的な初老の女性だった。
僕はペットボトルの炭酸飲料を買った。こんなときは本当はビールでも飲みたい気分だが、そこは後の楽しみに取っておく。渇いたのどに一気にジュースを流し込む。喉を通る刺激に負けそうになりながらも渇きには適わずにグビグビ飲み干した。早く帰って支度して出掛けなくてはいけない。僕らはそこから足早に一直線にあの店へ向かった。
↓ 続きます


